無外流

無外流 ― 外なき真の道

無外流は、1693年に辻月丹資茂によって創始された、居合道および剣術の古流の一つである。
「無外」とは「外に無し」という意味であり、自己の外には何も存在しないという禅の教えを表している。
すべての答え、力、そして真理は、己の内にこそある。

辻月丹は剣士であると同時に、僧・石潭祖温に師事した禅の修行者でもあった。
彼は禅の理念を基に無外流を築き、剣の道と悟りの道を一つに融合させた。
刀を抜くという行為は、攻撃のためではなく、心の明晰さを引き出すための行であった。
それはすなわち、動中の悟りである。

麗野莉雄念 無外流
Lionel Reynaud - Mugai-Ryu
無外流

辻月丹資茂 ― 無外流の創始者

辻月丹資茂は、1648年、平和な江戸時代の近江国(現在の滋賀県)に生まれた。
幼少の頃より、優れた身体能力と深い思索の心を兼ね備えており、後の人生哲学――すなわち「武の技と精神の融合」――の基礎を形成した。

若き日の辻月丹は、山口牧心斎のもとで山口流の剣術を学んだ。
厳しい修行を積み重ね、剣術および居合術の技法と理念を極め、二十六歳の時に免許皆伝を授かった。

さらに剣の技を超えた真理を求め、極林寺において僧・石潭祖温のもとで禅の修行に身を投じた。
石潭祖温は、禅僧・盤珪永琢の直弟子であり、辻月丹はその教えを通じて「不二」と「空」の真意を悟った。
すなわち、真の極意とは他者を打ち負かすことではなく、己を超えることにあると深く理解したのである。

辻月丹資茂 ― 無外流の創始者

1693年、辻月丹資茂は、剣の技と禅の洞察を融合させ、無外流を創始した。「無外流」とは「外なき流派」という意味である。
この名称は、石潭祖温の禅詩に由来しており、**「自己の外には何もなく、すべての真理は内にある」**という悟りを表している。

無外流は、単なる実践的な剣術にとどまらず、人格の陶冶、心の平静、そして気づきの涵養も重視した。
その形(かた)は、正確かつ流動的であり、身体と精神の両方を鍛え、すべての動作を内なる均衡の表現とすることを目的としている。

辻月丹の教えは、侍や僧侶をも惹きつけ、無外流は江戸時代を通じて発展した。弟子たちはその技を日本各地に伝え、やがて現代の居合道や剣道に影響を与えることとなった。

辻月丹の生涯は、剣と禅は一体であるという原則を体現している。
彼にとって、刀を抜く行為(居合)は攻撃のためではなく、心の明晰さと真理を覚醒させるための行為であった。
また、真の勝利とは他者に対してではなく、己に対する勝利――恐れ、疑念、我を超えることであると説いた。

彼の遺産は、代々の門人によって伝えられる無外流居合術の修行により今も息づいている。
今日においても、彼の言葉は時を超えた簡潔さで響く:

無外眞勝我在中
「外に無く、真の勝利は我に在り」

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